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上田薫 (教育学者)[うえだ かおる] 上田 薫(うえだ かおる、1920年(大正9年)5月17日 - )は、日本の教育学者。東京教育大学教授、立教大学教授、都留文科大学学長を務めた。現在「社会科の初志をつらぬく会」の名誉会長。 == 人物 == 大阪府生まれ。兵庫県の旧制中学校から、旧制武蔵高等学校を経て京都帝国大学哲学科に進むが、1944年秋に仮卒業で学徒出陣し、南京に送られる。敗戦により国民党軍の捕虜になった後、日本に帰国した。1946年9月に文部省に入省し、新教育の小学校社会科の学習指導要領と教科書の作成にあたった。続いて「道徳教育のための手引書要綱」を作る。 後に名古屋大学、東京教育大学、立教大学で教員生活を送り、最後は都留文科大学学長を務めた。長く信濃教育会教育研究所所長を兼任。教育哲学、教育方法学を研究、講義しつつ、この間一貫して教育現場の研究実践にかかわり続け今日に至る。 旧制中学の同年生は、「小柄な方のやせ型でおとなしい勤勉な印象であり、ゴム毬野球は名手であった」と書いている〔上田薫著「私はいつまで生きていてよいのか」(亜紀書房)に策励される 〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上田薫 (教育学者)」の詳細全文を読む
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